演繹法を具体例と共に解説!~1日でも早く見たかったブログ~
はじめに
どうも Junite です。
今回は、論理的推論の一つである ”演繹法” の解説や使い方、メリットなどについてお話ししていきたいと思います。
演繹法とは?
演繹法の一般的説明
演繹法は、論理的推論の一つであり、”前提条件”と”規則”の二つの既存の事柄から、”結論”という未知の事柄を導くことを言います。
ちなみに、論理的推論は、”帰納法”と”アブダクション”の他の二つと合わせて三種類に分類することが出来ます。
論理的推論については下ページで詳しく解説しています。
演繹法の具体例
分かりやすいようにいくつか例を挙げてみましょう。
具体例1
・前提条件:私は動物が嫌いだ
・規則:犬は動物だ
・結論:私は犬が嫌いだ
動物が嫌いだと、その集合に属する犬も嫌いになります。
具体例2
・前提条件:いつも使っている電車で人身事故が起きた
・規則:人身事故が起きると電車が遅延する
・結論:いつも使っている電車が遅延する
電車で人身事故が起きたと聞いた時、同時に電車が遅延していると考えますよね?それは演繹法によって導かれているのです。
演繹法の具体的説明
日常に溢れている
演繹法は、一見するとすごく当たり前のことのように思えますが、それは脳が演繹法を自然と習得し、我々が無意識のうちに使用しているからです。
実際、我々の思考を分析してみると、その多くが演繹法に基づいています。
先ほど挙げた例も、日常的な思考が演繹法に基づいていることを示しています。
絶対に正しい
演繹法には、”前提条件”と”規則”が正しいならば、導き出された結論は、絶対的・必然的に正しいという特徴があります。
この特徴は、他の論理的推論である、”帰納法”と”アブダクション”には見られません。
この二つから得られる結論は蓋然的(=ある程度正しいと予測されるもの)なものなので、絶対的・必然的に正しいわけではありません。
冗長になりやすい
演繹法には、論理的な正確性を重視すると、その過程が長くなったり複雑になったりしやすいという特徴があります。
その冗長になりやすいという特徴から、単純な演繹法で捉えようとすると出来なかったり、当たり前だと思うところは省略して簡便化するなどが頻繁に行われます。
分かりやすいように具体例をあげましょう。
・前提条件:私は宝くじの一等を当てた
・結論:私は幸せである
これは、下のように演繹法を二回用いることで導いています。
・前提条件:私は宝くじの一等を当てた
・規則:宝くじの一等を当てるの、お金がたくさんもらえる。
・結論:私はお金をたくさんもらえる
・前提条件:私はお金をたくさんもらえる
・規則:お金がたくさんあると幸せである
・結論:私は幸せである
上の例では二回だけしか使っていないですが、実際の場面では、それ以上使うこともあります。むしろ、少ない回数で済む場面の方が珍しいくらいです。
三段論法
演繹法の代表的な例として、”三段論法”というのが非常に有名です。
三段論法とは、”小前提”と”大前提”から”結論”を導く論理的推論の事です。
演繹法と三段論法は指すものが異なりますが、”小前提”は”前提条件”、”大前提”は”規則”とほぼ同じですので、大した違いはありません。
実際、調べてみると、この二つの概念はほとんど同じもののように扱っている場合が多く、この二つを混同することでなにか大きな問題が生じるわけではありません。
一応、この二つは異なる概念であるということは、頭の片隅にでも入れておくといいと思います。
三段論法の詳細は、別ページで解説したいと思います。
演繹法の注意点
演繹法を使う上で、いくつかの注意点があります。
前提が間違っていれば結論も間違っている
演繹法の結論が絶対的に正しいのは、あくまでも前提が正しい時に限ります。
つまり、前提が間違っていれば、そこから導き出される結論も間違ったものになってしまうのです。
先ほど宝くじの例を上げましたが、そこで用いられている”お金がたくさんあると幸せである”という規則は果たして正しいのでしょうか?
勿論そう考える人がほとんどでしょうが、例外なく成り立つかと言われれば、怪しいところです。
お金を沢山持っていると、心が貧しくなるため、不幸せになる、と考える人がいても不思議ではありません。
そして、その規則を用いて導いた”私は幸せである”という結論も、上のように考えている人からすれば、正しい結論ではなくなります。
このように、演繹法を使用する際は、その前提が正しいのかを常に意識することが非常に大切です。
上の例では、主観と客観が混同していることによって、前提が間違っていましたが、先入観により、根拠なく正しいと思い込んでしまうことで、前提が間違っている可能性なども考えられます。
省略が頻繁に行われる
上でも述べたように、演繹法を使用するときに、論理的な正しさよりも、簡潔さを優先するために、常識的に考えたら分かるような当たり前の部分を省略するということはよくあります。
ですが、それは勝手に正しいと思い込んでるだけに過ぎないので、実際には間違っているという可能性も十分に考えられます。
これまた先ほどの宝くじ例を見てみましょう。
途中は全て省略して、前提条件と結論だけを見てみると、一見正しいことのように見えます。
ですがそれは、”お金がたくさんあると幸せである”という規則が当たり前であるという隠れた前提があるからです。
そして、その隠れた前提がこの”前提条件”と”結論”を誤って結びつける原因となっているのです。
このように、演繹法を使用するときに、省略を無闇にしてしまうと、誤った結論を導く可能性が出てきてしまうので、注意が必要です。
勿論、当たり前のことを疑いすぎて、議論が進まなくなっては本末転倒ですので、その二つの兼ね合いが重要になってきます。
おわりに
最後までお読みいただきありがとうございました。
自分の思考がどのような論理的推論をしているのかを考えると、自分の思考を整理することができるので、習慣的にチャレンジしてみてください!